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学校訪問記 vol. 08 泉佐野市立泉佐野第三中学校

2008年11月10日(月)「大阪府泉佐野市立泉佐野第三中学校」

泉佐野第三中学校の皆さんと心の宅急便メンバー

「泉佐野第三中学校の皆さんと心の宅急便メンバー」
前列 右から三尾先生、中藤校長先生
後列 右から古谷先生、山原先生、上水流先生

今日は、横浜の公立中学校からスタートした「心の宅急便」始まって以来の遠距離地方講演第一号、大阪府泉佐野市立泉佐野第三中学校である。ここは私の中学校時代からの親友・オノブの娘、知子ちゃんが国語の教師をしていることから繋がったのだ。知子ちゃん、いや、三尾知子先生は小さい頃から私を“ムーチョおばちゃん”と呼んで慕ってくれている。
 昨年11月、「心の宅急便」を立ち上げたことをオノブから聞いた知子先生は、大阪に私が行った時、こんな事を言った。
「ムーチョおばちゃん、うちの学校の子らな、ええ子やネン。そりゃあ、ヤンチャな子もおるけど、その子らも、みーんなやさしくて可愛い子やネン。あの子ら、本読むの好きやないけど、ムーチョおばちゃんの本は読むンやで。あの子らに、心の宅急便、聞かせてやりたいなあ・・・見せてやりたいなあ・・・」

「ヨシ、やるよ!絶対行く!知ちゃんの学校、必ず行くからね」
知子先生の手をしっかり握って、そう私は約束した。だが、いかんせん、学校ばかりはお声がかからないと勝手に押しかけて行く訳にはいかない。
7月19日、一学期の終業式の日、私は羽田発8時20分の飛行機で関空に向かい、そこから車で15分の泉佐野第三中学校に単身乗り込んだ。そして、知子先生が半年かけて根回しをしてくれた三年生の視聴覚担当・山原喜寛先生と一年生の視聴覚担当・上水流裕司先生にお会いして「心の宅急便」が生まれた理由とこの学校に届けたい理由を告げ「呼んでください」と頭を下げた。

自分のお母さんのような歳のオバサンに頭を下げられて、山原先生も上水流先生も最初は目を白黒させていたが、真っ直ぐな若者らしい綺麗な目で「分かりました。もう一人、二年生の担当の古谷先生が今いらっしゃらないので即答は出来ませんが、この学校にとってムトーさんの心の宅急便は必要な気がします。是非、来ていただきたいと思います」と言ってくれたのだ。

あの真夏の季節から約4ヶ月、11月10日・月曜日、遠路はるばる辿り着いた泉佐野第三中学校へ「心の宅急便」を届ける日が来た。
やっと空がしらみかける早朝6時半、私たち長村、原田、栗山、そして私の一行は、昨夜泊まった関空傍のホテルをチェックアウトして泉佐野第三中学校に向かった。
665名とかなり生徒数が多いこの学校では、午前中を一、二年生、午後からを三年生と分けて二講演することになっている。最初の講演の開始は9時10分から豆紙人形の鑑賞となっていてその後に始まるのだが、8時から9時まで全校集会があって体育館が使えないため、豆紙人形の展示やマイクテスト、スクリーン操作テストなどの準備時間が朝7時から8時までしか取れないのだ。
学校に7時10分前に着くと、もう上水流先生、山原先生、そして前回、夏に訪れた時にはお目にかかれなかった二年生担当の古谷大助先生が準備万端整えて待っていてくださった。山原先生、上水流先生はビシッとダークスーツにネクタイで決めて、古谷先生もキリリと真白なワイシャツにダークなズボンが清潔感を強調するスタイル!三人とも揃いも揃って爽やかな20代後半の若い先生だ。
そこへ「ムーチョおばちゃん、待ってたでー!」と知子先生が走り寄ってきた。
「オー、知ちゃん、男の先生方はビシっとステキに決めておるが・・!お前さんは楽な格好だのう」とにやつく私に、「ゴメーン!私はいつものジャージ姿で堪忍してやー!」と知子先生が笑う。

一年生視聴覚担当の上水流先生が代表で窓口になってくださり、必要事項などはこれまでに何度もメールを交わしていたので、準備はスムーズに進み、一時間も経たないうちに終わった。
「今日は寒いでしょう?ストーブ、背中の方に用意しましょうね」養護教諭の中先生が急いでストーブを調達しに行ってくれた。少女のような可愛い笑顔の先生だ。こんな心遣いを受けるたび、私たちは又一つ幸せになる。
長村さんが衣装に着替える時間もあるので、取りあえず控え室として用意されている図書室に向かった。急に肌寒い気候になったことを気遣ってくださったのか図書室はエアコンで既にホンワカ暖かい。寒さには強い着物姿の私と違って、ハープ演奏の長村さんは薄い羽のようなライトグリーンのドレスに薄い白のストールなので、着替えるのも待機するのもこの暖かさはありがたい。用意されていた熱いコーヒーを飲みながら、私たちはゆっくりとくつろがせていただいた。

10時ちょっと前、山原先生が図書室まで私たちを迎えに来てくださった。1949年に開校し、今年で60周年になる泉佐野第三中学校であるが、今年3月末に新校舎(6教室3階建て)集中下足棟・クラブ部室・テニスコートが新設されたせいか、廊下もピカピカ、
トイレも綺麗で古い学校という感じが全くしない。
 綺麗に拭き掃除された階段を降りて体育館に向かう途中、先頭に立っていた山原先生が白い小さな紙くずが階段の隅に落ちているのを目ざとく見つけてサッと拾いあげ、自分のズボンのポケットにしまい入れた。そして何事もなかったように歩き出した。
そうだ、これなんだ!先生自ら範となる。これが大事なんだ。私も見習わねば!
猫と一緒になってゴミをリビングに撒き散らす私は、瞬間、下を向いて反省した。

大阪人は 東京人と違ってカッコウをつけない。思ったことを隠さず正直に口にする。
芝居でも音楽でも講演でも、面白くなかったら野次を飛ばしサッサと席を立つ。それは大人も子供も一緒だと聞いていた。ある意味、大阪は「心の宅急便」にとって初めての山場だった。
今まで地方講演と言っても千葉県までの近県で、関東の小中学校にしか行っていない。今までが子供たちに受け入れられたからと言って、大阪という土地でどう受け止めてもらえるかは分からなかった。でもいい。野次られてもいいと思っていた。その時は自分の言葉が足りないのだから。何が足りないのかが分かるいい機会なのだから。
それよりも、知子先生が「ヤンチャなとこもあるけど ほんま可愛くてやさしい子らばかりやねん」と言った子供たちに「心の宅急便」を届けることができる、それが実現したことが一番嬉しかった。

「あなたがいい」と「友だちにならない?」のメッセージソングの紹介から始まって約1時間半、底冷えのする床に座ったまま午前の部の子供たちは、一、二年生だけだからだろうか?拍子抜けするほどに静かに聴いてくれた。席を立つどころか野次も何もない。聞く姿勢でちゃんとこちらを向いて真剣な顔で聴いてくれている。
だが、講演が始まってしばらくしたら入り口のドアが開く気配がした。「そろそろ、つまらないから外に出よう!」という子たちがドアを開けて出たのだろうか?目の前の生徒たちに向かって話しながらチラリとそちらに目を走らせると、遅れて入ってきた生徒たちだった。出るのではなく、入ってくれたのだ!ホッと一安心!
そうかと思うと、ハープに興味を持って、後ろのほうから少しずつ前へにじり寄ってとうとうまん前まで来て、食い入るように聴いていた女の子が一人いた。講演が終わったら、待ちきれずにハープを触りに来た子だった。こういう反応は実に嬉しい!
一つ話が終わるたび、一つ朗読が終わるたび、一曲演奏が終わるたび、子供たちは惜しげもなく拍手を送ってくれる。心の中に温かいミルクがジワーッと注がれてくる。
大阪だから、関東だからという壁は子供たちにはない!そう感じた。
「みんな、今日のこの心の宅急便を聴いて、何を感じた?今から変われるものがあるだろう?校舎も新しくなった。考えなければならないこと、自分に向き合わなければならないこと、色々聞いたな?今日から頑張ろう!」そんな話を上水流先生が生徒たちに熱く語っていた言葉を背にして私たちは体育館を去った。

体育館を出ると、向こう側の出口から細身の身体にシックなダークスーツ姿、眼鏡をかけた年配の先生が出て来てこちらに歩み寄った。
「いやあ、いいお話をありがとうございました。生徒たちも感じ入ったことと思います。本当によかった!いやあ、よかった!」
にこやかな顔でおっしゃってくださる先生に、私たちもお礼の挨拶を返し、「あの、先生は・・・・?」とお訊ねすると、「いやあ、中藤と申します。ここの校長です」
なんと、中藤辰洋校長先生でいらっしゃったのだ!
前回、ここを訪れた時も折り悪しくお目にかかれず、今回も学校に着いた時はまだ早すぎていらっしゃらず、準備などでご挨拶が遅れたままだったのだが、わざわざ校長先生自らご挨拶に来てくださったのだ。申し訳なくて思わず身体が縮む。おまけに「教師たちは授業や次の準備などで手が空いておりませんので、私が・・・」とご親切に控え室までご案内くださったのである。その5分後、中藤校長先生は大きなビニール袋を二つ両手にぶら下げて顔を出してくださった。
「ほんの気持ちばかりですがお昼のお弁当です。こちらでごゆっくり召し上がって下さい」
「まあ、校長先生にそんなことまでしていただいて、どうしましょう!?」
恐縮するやら感激するやら・・・でもご用意いただいた美味しいお弁当に「心の宅急便」一同舌鼓を打ちながら感謝!!

さて、昼食が終わって午後の部。知子先生が前ふりの話をした後に、私たちが入る段取りになっていた。
三年生は流石に一、二年生とは違って一筋縄ではいかない。最初からシーンと迎えてくれるという訳にはいかない。だが、反対にとても人懐っこい目をしている生徒たちだ。ここに飾らない日本の子供たちがいる!そんな感じだ。
「なるほど、この子たちがヤンチャで可愛い知ちゃんの子供たちだ!」そう思った私はみんなに会いたくてここの学校に来たことを最初に語った。
一、二年生と同じように全員が全員、ビシッと前を向いて聴いているとは言い難いが誰一人野次を飛ばす生徒はいなかった。大声で講演の邪魔をする子もいなかった。
一つ終わると大きな拍手をくれるのも一、ニ年生と少しも変わらない。横を向いていても、目と耳はこちらに向いていた。何故なら大事なことを話す瞬間瞬間は、横を向いている子たちが一斉にシンとなって、こちらに顔を向けてくれるからだ。
 午後の部は、途中で出て行く男の子が何人かいた。でも、可愛いことに出っ放しではなく戻って来てくれるのだ。そしてちょこっと出て行っては 又 戻ってきて聴いてくれる。私は反対にこの子たちに認可されたような気がして嬉しかった。

講演が全て終わり、入り口を出ると、向こう側の出口からいち早く出てきた二人の女の子が寄って来た。
「メチャ よかったで!今日はマジで真剣に聴いた!歌も凄くええヤン。来てくれてアリガト!」
そう言って、手を振って去って行った。兎のように丸い純な瞳だった。
その後も次々と女の子たちが寄ってきて同じことを言ってくれた。
「私、おばあちゃんに育てられてんねん。そやから、おばあちゃんの話、胸にズーンと来たで」と言ってくれた女の子もいた。
「あのシンデレラみたいな綺麗なドレス着てはった人、もう一度見たいネン。何処におるん?」と一人の女の子が言った。
「ごめんなさい。私です。寒いので着替えちゃいました!」
素早く私服に着替えていた長村さんが申し訳なさそうな声で答えた。
「ムーチョおばちゃん、ごめんなー!あいつら、許せへん!!後ろで出たり入ったりしおってからに!今日はチャンとするいう約束したんやで」
知子先生が目にうっすら涙をためて私に謝る向こうから、その「あいつら」が可愛いヤンチャな顔をして私たちに手を振っていた。
「ちゃんと聴いてたでー!!又 来てやー!東京に行ったら奢ってなー!!」
口々に言ってくれるその顔を 私たち「心の宅急便」は決して忘れないだろう。
 こんな素晴らしい出会いをくださった中藤校長先生、知子先生、上水流先生、山原先生、古谷先生ありがとうございました!
そして泉佐野第三中学校のみんな!サヨーナラ!又 何処かで会おうねー!!

泉佐野市立泉佐野第三中学校の公式サイト


                                                                                                                         
 
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