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学校訪問記 vol. 16 山形大学附属中学校

2009年5月15日(金)山形大学附属中学校

写真(山形大学附属中学校の佐藤先生、山田先生、村山先生、伊藤先生と長村&ムトーの写真)

「写真(山形大学附属中学校の佐藤先生、山田先生、村山先生、伊藤先生と長村&ムトーの写真)」

風薫る爽やかな5月15日、「心の宅急便」は山形大学附属中学校の開校記念日に招かれて講演を行った。

山形駅から東に3キロメートル、道路の向こう側に千歳山を仰ぐ閑静な松波地区に在る附属中学校は、昭和22年に開校し62年の歴史を持つ山形市きっての名門校である。

昭和43年に香澄町から松波地区に移転した当時は辺り一面桑畑だったという広大な敷地内に、山形大学附属幼稚園、附属小学校、附属中学校と校舎を隣接し、山形大学と連携して互いに一貫した教育を行っている。生徒一人一人が「自分の学び」を反映し高めるための授業作り及び学習過程の研究を行う結果として、教育目標である「健康かつ明朗で、豊かな知性と誠実な社会性を持つ、自主的で実践力のある生徒」が育っている。

男子女子共に剣道が強く「文武両道」をモットーにしているせいか、廊下で出会う生徒全てがただの成績優秀な生徒にはない力強い瞳の輝きを持っている。真っ直ぐにこちらの瞳を見て、弾けるような笑顔の挨拶を返してくれる。そのピンとした姿勢の良さ、明るい礼儀正しさは流石である。

実は私は10歳まで山形に住んでいた。山形東原幼稚園を卒業後、附属小学校に入学し、5年生の時に父の転勤で東京に転校したのだった。

だから、附属中学校には今までの長い人生、全くご縁がなかった。その私を附属中学校の佐藤文昭校長先生に紹介してくださったのは、なんと附属小学校時代の同級生の方々だった。

山形と言えば、幼かった私の記憶にあるのは冬の雪。盆地の夏の暑さはさほど覚えていないが、夜から朝にかけて深深と降り積もる真白な雪、朝起きると一面の雪、足跡ひとつ無い清らかな世界が、大人になってもずーっと心に焼きついている。何か迷いがあって、自分が真白な心になりたい時は、私はいつも山形のあの「雪景色」を思い出していた。

5月は雪のない季節である。だが、一年で一番爽やかな季節でもある。その時期に、懐かしい山形から、しかも幼い頃そのままずっと住んでいれば、必ず通っていたに違いない附属中学校から講演の依頼があったということは嬉しいことだった。

朝9時に附属中学校の玄関に着くと、佐藤校長先生と主幹教諭の山田博志先生がすぐに迎えに出てくださった。

お二人とも陽に焼けた肌に真っ白い歯、笑顔がくっきりと映えるスポーツマンタイプで佐藤校長先生は、音楽の先生、山田先生は社会の先生をなさっているということだった。

山形在住の同級生から、佐藤先生が附属中学校に転任さなってから、附属中学校の音楽のレベルが格段に上がったという噂を聞いていたのでお伝えすると、「イヤー、そんなことはないですう」と佐藤先生が照れ臭そうにボリボリ頭を掻いた。とても気さくな方である。

二年前、体育館以外は全部改装した校舎はゆったりとした設計で何処もかしこも清潔で明るく、しかも全館冷暖房完備だという。昔々、附属小学校に通っていた時、教壇の横にあった丸ストーブに、教室の隅の方から必死に手をかざして暖を取ろうとした思い出が甦り、「今の時代の子供たちはいいですねえ」などと言ってしまった。

体育館では既に技術・家庭の伊藤礼輔先生が、スクリーンにイラストを投影するためのプロジェクターをセッテイングして待っていた。今回はいつもPC操作をしてくれる原田さんが都合がつかず山形に一緒に来ることが出来なかった。そんな訳で、伊藤先生が進行表と台本を見ながらPC操作をしてくださることになった。

舞台裏で音響やCDの操作をしてくださる村山理香先生はてっきり音楽の先生かと思ったら保健体育の先生だった。お二人とも若くて親しみのある素敵な先生である。

山形弁の懐かしいイントネーションや響きを、先生方の温かい笑顔と共に聞いていると、なんだかまるで附属中学校が母校のように思えてくる。一緒に聞いていたハープの長村さんも「山形弁て、なんだか心が癒されるような言葉ですね」とにっこり。

10時半過ぎに、「心の宅急便」はスタートした。

メッセージソングの紹介から始まって、いじめの話、「あなたがいい」の朗読、長村さんのハープ演奏、そして母の話や「手のひらのしあわせ」の朗読が終わり、挨拶をした私は思わず生徒たち全員に舞台の上から拍手を送りたい気持ちになっていた。ここまで生徒全員、一年生から三年生までの472名が、一糸乱れず最初から最後まで視線をこちらに向けて聴いてくれる例は初めてだったからである。この年齢の子供たちは、一時間もの間姿勢を崩さずに聴き続けることは難しい。特に、学校に慣れてしまった三年生は、何処の学校でも最後の方でちょっと態度が緩くなってしまう。耳や顔はこちらに向けて真剣に聴いていても、身体はどうしてもごそごそ動いてしまう。それがこの附属中学校の場合、全く無いのだ。全学年を通してこうなのだから、凄い!の一言である。

だからと言ってただ大人しく黙っているだけではない。講演後、「誰か、今の講演を聴いて聞きたいことがある人」と司会の先生が声をかけると、ハイハイと勢いよく沢山の手が挙がる。その中から三人の男の子が前に出てきて質問を始めた。

最初の生徒の質問は「何故 この心の宅急便を始めたのか?そのきっかけは?」だった。

二番目の生徒の質問は「お母さんは豆紙人形作家、その娘は本やミュージカルなどを書く作家、何で親子でできるの?」、三番目の生徒は「そもそも 作家になったきっかけは?」であった。

講演を聴く時の大人にも出来ない真剣で真摯な姿勢、それが終われば、子供らしい興味と関心を素直にぶつけ表現できる姿勢、なんとも気持ちがいい生徒たちである。

最後に原稿ナシで一言一言噛み締めて語ってくれた生徒代表、三年生の星川亜都紗ちゃんの謝辞には感激させられた。

「この講演を聴いて一番深く感じたこと。言葉とは他人を傷つける武器にもなり、又人を支える力ともなる。その使い方によって人の人生まで変えてしまう。私は言葉を大切に使って生きていきたい」

「先生、附属中学校の生徒たち、自分の言葉をしっかりと持っていますね。言葉と心を持っていても、大人でもなかなか自分の意見を言ったり発表できないものですが、それが自然にできている気がします」

講演後、校長室で佐藤先生や前校長の佐々木先生の前で、私は思わず感嘆の声を上げた。すると佐藤先生、佐々木先生が深く頷きながら嬉しそうにこうおっしゃった。

「我が校では、発表の場を常に設けて、生徒たちが積極的に自分の意見を言えるように指導しているんです。だからあの生徒たちもあらかじめ質問することを決められた子供たちじゃないんです」

学校を去る時、校庭にいた男子生徒が数人、手を振って駆け寄って来てくれた。

「今日はありがとうございました」「又 来てください!」口々に言って握手をしてくれる。

なんて素直で可愛い子供たち。それを見て駆け寄って来てくれた女子生徒たちが「ほら、あっち」と指差すの後ろを振り返ると、一階から三階まで窓に群がった生徒たちが一斉にこちらに向かって手を振ってくれている。

ありがとう!附属中学校のみんな!会えて嬉しかった!又 いつか会おうね!

そして附属中学校の先生方、ありがとうございました!

山形大学附属中学校の公式サイト


                                                                                                                         
 
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